Jazz JPN【2】守安祥太郎/幻のモカンボ・セッション’54

日本人ジャズ愛好家には、日本人であるが故の「特権」と呼ぶべきものはあるでしょうか。ジャズの本場はアメリカ。これはどう考えても動かすことのできない事実です。新しい潮流が生まれるのも当然アメリカ。基本的に。我々日本人ジャズ愛好家は、地球の裏側にあるアメリカの動向を追うことにならざる得ません。ジャズ大国は世界にいくつかありますが、他の国も似たようなもの。そんな状況を前提に、他の国の愛好家は享受できない日本人愛好家だけが楽しむことのできるジャズに関する「何か」は存在するのかという点について考えてみました。

かつてはCDプレス技術に関しては日本が世界一と言われ、輸入盤よりも日本プレス盤の方が音質が良いとまことしやかに囁かれました。音質に関してそれほど知識も持たず、「良い耳」を持っている訳ではない私のような音楽ファンにとっては正直なところ真偽は不明。仮に事実だとしても、「特権」とまでは言えないような気がします。

結論から言えば、日本人ジャズ愛好家に「特権」は存在すると個人的に考えており、それは日本人によるジャズ、別の言い方をすれば、和ジャズ、J-Jazzを聴く環境があることだと思います。

何を当たり前のことを言っているんだと思われるかもしれません。ですが、どうでしょう。海外ジャズ愛好家と和ジャズ愛好家の間には、目に見えぬ壁、少しネガティヴな言い方をすると断絶があるような気がしなくもありません。ちょうど海外サッカー愛好家が「J-リーグはレヴェルが低い」と見下すように。あるいはハリウッド映画専門ファンが「日本映画はつまらない」「ヨーロッパ映画はテンポがのろい」と蔑むように。外車愛用者が日本車ユーザーを小馬鹿にするように。

ジャズに限らず和物と舶来物の間には分野によってレヴェルに差があるのも事実です。ですが、面白さとレヴェルの高低が必ずしも一致するとは限りません。海外のサッカー主要リーグでは優勝チームは数チームに絞られます。「今年はどのチームが優勝するのか?」という刺激があまりない訳ですが、Jリーグは毎年優勝チームがコロコロ変わります。終盤のどんでん返しが毎年のように起こります。将来、海外で活躍するかもしれない若手選手を見つけるという楽しみもあります。レヴェルの高低とは違う楽しみ方もあるわけです。

海外サッカーのみを愛好するフットボール・ファンがJリーグを無視するように、外国映画愛好家が日本映画を軽視するように、ジャズ愛好家は和ジャズを軽んじている傾向があるのではないかと思える訳です。

と、ここまで若干上から目線で語っておりますが、かくいう私も和ジャズに造詣が深い訳ではありません。むしろ、長い間、和ジャズ軽視派として過ごしてきました。偉そうなことを言える立場にはありません。

また、音楽を聴く作業はあくまでも趣味ですので、強制感が伴うとげんなりしてしまいます。「和ジャズを聴くべきだ!」なんて高圧的に言われてしまうと、うんざりされる方もいらっしゃるはず。当然です。あくまでお趣味の話ですから、好きなもの、興味のあるものだけを自分のペースで聴いていけば良いのであって、他人にとやかく言われる筋合いはありません。サッカーも同じ。映画も同じ。これが大大大原則です。

ですが、今回は敢えておせっかいを焼いてみたいと考えております。日本人によるジャズにそれほど興味のない方向けの記事です。

出来ることなら、和ジャズ否定派/不要派の方にこそお勧めしたい音源があります。事前情報がゼロの状態で、日本人による演奏という先入観を一切捨ててまずはこの音源をチェックして頂きたいと思います。もちろん可能な限り音量はMaxで。

いかがでしょうか。テナー/アルトの2管クインテット構成ですが、5人がガチガチにぶつかり合う魅力的なバップと個人的に感じます。演奏が進むに連れて、明らかにヒートアップしていくのが手に取るように伝わってきます。

この演奏が収録されているアルバムはこちらになります。


Shotaro Moriyasu and others “The Historic Mocambo Session ’54″【1954】
守安祥太郎 他 「幻のモカンボ・セッション’54」【1954年録音】

以上の人名/アルバム・タイトルにいくつかの重要なキーワードが含まれております。「守安祥太郎」「幻の(Historic)」の2つです。

「守安祥太郎」

守安祥太郎【ウィキ】は1924年生まれのピアニストです。1924年生まれのジャズ・ピアニストと言えば、例えばBudd Powellが同学年。守安はそもそもはクラシック・ピアノを学んでいたそうですが、社会人になってからジャズに興味を持つようになったそうです。

大変興味深い点は、彼がジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせた1950年前後の日本のジャズ界の状況です。現在のジャズ愛好家の多くは、1950年と言えばビ・バップが隆盛を迎え、モダン・ジャズ黄金時代に入らんとする時期だったと認識しているはずですが、当時の日本は白人によるホワイト・ジャズ礼賛状態で、話題になるアルバムも白人ジャズメン作品が主流だったとのこと。新思考ジャズであるバップはほとんど認識されていなかったそうです。

これはある意味では仕方ないことと考えるべき。日本とジャズの本国アメリカは、つい数年前まで「大人の事情」でややこしい関係にあった訳ですから。通信事情もよくないので、最新の情報についても現在とは比べ物にならないほど少なく、かつ日本に届くまでにかなりの時間がかかったはずです。また、本国アメリカでもBe-Bopは全ジャズ愛好家に広く受け入れられていた訳ではなく、一部の熱狂的なジャズ・マニアの間で認識されていたにすぎません。アメリカでもレコード売り上げの多くは、白人ビッグ・バンドやヴォーカリスト作品が占めていたとされております。そもそも現在主流のモダン・ジャズ中心史観と当時の実情にはズレがあるわけです。「本場アメリカでは今コレが流行っている」的に輸入された作品が、白人系スウィング・ジャズ中心だったとしても当然と言えば当然です。事実ですから。

そんな状況下で、音楽理論に精通していた守安はどういった経過は解りませんが、最先端を行っていたBe-Bopの代表者Charlie Parkerのレコードに注目。いち早くその斬新さを理解したとされております。先ほど紹介したyoutube音源”I Want to be Happy”をお聴き頂くと一発で解ると思いますが、完全なるバップです。ギチギチでガツガツなバップ。守安は正真正銘のバッパー。Be-Bopへの認識を欠き、レコードもほとんど輸入されず、もちろん理解されていなかった時代に、わずかな資料を手掛かりに守安は理論的にBe-Bopを習得してしまったということになります。

しかも、仲間内にビ・バップの理論を解説。彼の教えを受けた仲間には、後に日本を代表するサックス奏者となる渡辺貞夫氏もいたそうです。

ところが、守安の演奏の受けは良くなかったそうです。同輩ジャズメンたちには高く評価されたそうですが、聴衆の受けはいまひとつ。当たり前と言えば当たり前。当時の聴衆はビ・バップを知らないわけですから、守安が何をやっているのか見当がつくはずもありません。白人スィング・バンドがやるような明快なジャズを期待していたのに、バップを聴かされても理解できるはずもありません。当然、レコーディングのチャンスを得ることもありませんでした。

守安は次第に心身に不調を抱えるようになっていき、1955年目黒駅で投身自殺。享年31歳でした。遺されたレコーディング作品はゼロでした。

「幻の(Historic)」

守安祥太郎は伝説の人物として一部のジャズ関係者の間で知られるに止まっていたそうですが、死後10数年を経て奇跡的な”復活”を遂げることになります。

1954年、横浜・伊勢佐木町にあったジャズ・クラブ「モカンボ」で、守安を中心に3日間に渡るジャム・セッションが開催されます。守安グループ以外には、秋吉敏子、渡辺貞夫、ハナ肇、植木等らが参加していたそうです。

当時19歳だったジャズ愛好家の大学生・岩味潔は、秋葉原で購入した中古部品を使ってテープレコーダーを自作。かなりの重さだったそのレコーダーを担いでモカンボに持ち込み、最前列に設置。作動させるとかなり高熱を発するため、岩味氏は作動中の機械を団扇で煽ぎ続けなければならなかったそうです。

つまり、幻のバッパー守安祥太郎の演奏は非公式にではありますがひとりの愛好家によって録音されていたことになります。

その幻の音源が1970年代になってポリドール・レコードからリリースされました。それが「幻のモカンボ・セッション’54」ということになります。「幻の」という冠がこれほどふさわしいアルバムはありません。かくして、「音源なしの幻の守安祥太郎」はもはや幻ではなくなったわけです。岩味氏の先見の明と行動力は大いに賞賛されてしかるべきです。

以上のように、ロマンあふるる経緯を経て録音された守安祥太郎の演奏を聴いてどのようにお感じになったでしょうか。私は感銘を受けました。ジャズの本場アメリカの一部で支持されていた新潮流Be-Bopのレコードを聴いただけでその斬新さを理解した日本人ピアニストがいて、太平洋という地理的に大きな断絶がある日本で、レコード音源だけを頼りにその理論を消化し、実際にク-ルな演奏をしてみせたわけです。レッスンを受けたわけでもなく。ジュリアード/バークリーに留学した訳でもなく、です。これは『解体新書』和訳的な偉業のようにも思えます。

パーソネルは以下の通り。

Piano:守安祥太郎【ウィキ

Tenor:宮沢昭【ウィキ
Alto:渡辺明

Bass:鈴木寿夫
Drums:清水潤

実のところ、私はアナログ盤/CD共に持っておりません。youtubeにアップされている曲しか聴いたことがありません。リイシューされるのを待ち焦がれているのですが。なんと米軍兵士として駐在中だったHampton Hawesも参加しているそうです。最近、和ジャズの復刻が相次いでいますので、再発に期待しております。

youtubeには「幻のモカンボ・セッション’54」より、あと2本音源がアップされております。

“Out of Nowhere”。

“Strike Up The Band”。

日本の食文化を代表する寿司は、現在世界中で食されるようになっているそうです。その国の人々に受け入れられるようにローカライズされ、アメリカではカリフォルニアロールを生みました。日本人からすれば「そんなの寿司じゃない!」と思えるようなSushiも多々あります。

世界中で愛されるイタリア料理も同じ。日本で大人気のナポリタンですが、ケチャップで炒めるなんてイタリア人からすれば言語道断とのこと。「こんなのパスタじゃない!」と激怒していることでしょう。たらこスパゲッティも同じ。イタリア人からすれば魚の生卵と和えるなんて常軌を逸してると映るかもしれません。

むかーし、ちょっとした高級中華料理店に連れて行って貰った際、メニューを見てもよくわからないので、説明に「麻婆拉麺」と書いてあったものを注文してみたことがあります。日本の中華料理店で時々見かけるラーメンの上に麻婆豆腐がのっているものとばかり思ったからでした。ところが、料理がやってきて度肝を抜かれます。ラーメンどんぶりにスープなしで麺が置かれ、その上に豆腐なし麻婆がのせられておりました。それを自分で和えて食べるらしく・・・。全然ノドを通っていかず、さりとて食べないわけにもいかず・・・。私の希望は日本化されたマーボーラーメンだったのですが、本場中国仕様の「麻婆拉麺」が来てしまった訳です。

餃子も中国ではほとんど焼かないそうです。水餃子か揚げ餃子が基本。餃子を焼くのは日本独自のローカライズとのこと。拉麺も中国ではスープなしの場合も多いとか。大学の時、第二外国語で中国を履修しておりましたが、中国人講師が「日本の中華料理はニセものだ!」と激怒しておりました。こっちからすれば「知るかっ」で終わり。ワールドワイド化するとオリジナルとかい離してしまう。これは運命のようなもの。アメリカのSushi Barへ行って「カリフォルニアロールは邪道だ!」といくら叫んでみても無意味です。逆に頭の固いめんどくさい奴とみなされてしまうのがオチです。カリフォルニアロールは「間違い」であると同時に「正解」でもある訳です。

国境を越えて世界的な人気を獲得すれば、オリジナルの精神をはみ出し、独自化/現地化するのは世の常です。ジャズも同じ。フランスにはフランス独自のジャズ文化があり、ポーランドにも独自のジャズがあります。中国にもあるのかもしれません。ロシアにもあるでしょう。そして、日本にも独自のジャズ文化があるのはご存じのとおり。ジャンゴ・ラインハルトは、自らの出自であるジプシー音楽とジャズをミックスさせて名声を博しました。ソウル・ジャズやロック・ジャズ、ボサノヴァ・ジャズ、アフロ・キューバン・ジャズがあるように、フラメンコ・ジャズ、シャンソン・ジャズ、沖縄民謡スタイルのジャズがあっても良いはずです。

かつて私も「なぜ、本場アメリカのジャズ・アルバムが容易に入手できるのに、わざわざ日本人のジャズを聴かなきゃならないんだ?」と考えていましたし、和ジャズは完全に無視し続けてきました。当時、大西順子【過去記事】は聴いていましたが、あくまでも「大西順子」を聴いていたという感覚で、和ジャズを聴くという感覚はほとんどありませんでした。その固定観念を覆してくれたのは、私の場合上原ひろみ【過去記事】の存在でした。彼女の演奏を聴いていくうちに和ジャズに対する考え方が変化していき、それほど多くはありませんが他の日本人ジャズメンの作品も時々聴くようになり、独自のジャズ観に魅了されていきます。

今回紹介した守安祥太郎は、ジャズを日本独自にローカライズすることを試みた訳ではなく、海の向こうで始まった新潮流に呼応した良き解釈者といった印象です。演奏活動を続けてしっかり評価されるようになっていれば、守安独自のオリジナリティ溢れるジャズを生み出した可能性はあったはずですが。

日本人によるジャズに関して最も容易にアクセス出来るのは誰あろう我々日本人です。我々は二百数十年国を閉じたら浮世絵や歌舞伎のようなあまりにも独特すぎる文化を生み出してしまった国に暮らしています。また、外国の文化を取り入れ、日本化することも得意。ジャパナイズされたジャズにもきっと価値は見いだせるはず。

少ない知識を駆使しつつ、これからも刺激的な和ジャズ作品を年に1作程度のペースで紹介していこうと考えております。その際、アルバム単位ではなく人物単位で紹介する予定です。問題は和ジャズはyoutubeに音源があまり多くないことなのですが。

    

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