タマキコ ウジ。

タマキコ ウジ。

吉田戦車「伝染るんです」を読んでいる方は分かるかな(笑)

なにせ玉置浩二がすごい。

ふと頭に名曲「メロディ」が浮かんでyoutubeをまさぐって。

ネット上では「モノが違う」という書き込みも多いから改めてここでどうこう言うこともないのだが。

にしても、別格だ。

最近はその行動や言動で「奇人」として取り上げられることが多いけど、

違うんだ。

天才。それに尽きる。こんなアーティストはそう滅多に出てくるもんじゃない。

同郷、といっても70kmほど離れているのだが彼は旭川出身ということもありデビュー前からその名は知っていた。

タイヤの地方CMでその歌が使われていた事がデカいな。確か私が小学生の頃だった。

楽曲の制作における才能は個々の主観だからさておき、その歌唱力、技術はハンパない。

まさに「パねぇ」だ。

私もウタをかじったので良く分かる。

ヴォーカリストの基本的な力の90%は生まれ持っての素質。

残り10%が努力。

これは覆せない。努力でどうにでもなるという問題じゃない。

特に地声で声量を必要とするジャンルの場合にそれは顕著だ。

クラシカルな声楽系、ロック系、ゴスペル、民謡や演歌の一部などなど。

敢えて声量を抑えるジャンルでは技術である程度補える余地が出る。

ジャズ、歌謡曲、R&Bのうちでささやき系など。もちろんこっちでもホンモノは数多くいるが。

後付けした技術でも補えない部分は「個性的な歌唱」で、というパターンが多い。

私はそれを否定しない。

U2のボノだってテクニカルだけで言えば決して上手くはない。でも誰よりも心にズドンと来るし、なにせ声質、声量が凄い。圧倒的。

「いいものはいい」

これが私の基準だから。

しかしそうであっても成行き上、基本的なレベルはどうしても測ってしまう。

わざわざ「クセ」を付けたり、やたらとフェイクを入れたりしているウタを聴くと「あ~もったいないな」と思うのだ。

自信がないためなのか、無意識に入れてしまっているのかな、とか。

出来る限り普通に歌って聴き手をうならせるのは相当楽曲の完成度が高いか、歌い手の基礎力が高いかだろうと思う。

後者のパターンにはなかなか巡り会えない。

ファンには申し訳ないが、ドリカムの吉田美和なんて典型だ。

せっかく素晴らしい才能を持っているのに、あまりにテクニカル道に走り過ぎて持っている良さを打ち消してしまっている。

まあ時代がR&Bに流れたから致し方ないのかもしれないが、速弾きギタリストが最初から最後まで速弾きを続けているようなものにしか聞こえない。

もちろん抑揚はあるのだが、「私はこんなに上手に速弾きできるんだ、凄いでしょ、ほらほら」と言われてもゲップが出てしまうみたいな感じ。

テクニックを見せるために曲の本質すら変えてしまっているであろう、と。

本末転倒に聞こえてしまう。

突拍子のない「クセ乗せ」、アレンジやフェイクなしに伝えるのはなかなか難しいものだ。要はストレートというヤツ。

地味にすると歌謡曲臭が漂うし、加減が難しい。

音源にエフェクトを掛けるとき、演者が決めるとそりゃもう「掛け過ぎ、くどい」となることが典型。やはり第三者に判断、操作してもらうのが良い。

でもウタでそれを第三者が調整したり決めるのは難しいのだ。

だから「素」が重要となる。「素」から少しずつ、程良い加減で飾っていくのも本人の技術なのかもしれない。

玉置浩二の凄いところは微調整力。

強弱の加減、アクセント、滑舌に至るまで、「自然に」、いや、自然さ、クセのなさを演じられる。

ファルセットを使った方がいいところでも使わなかったり、意外なところで使ったり。

それでも違和感を感じさせない。

「夏の終わりのハーモニー」で井上陽水と唄っているが、ライブで、ハモりでのヴィブラートのリズムを調整しているのが分かるだろうか。

曲のテンポに合わせて「1拍子に何個入れる?」を考えるのだが、いざ唄うとそこはなかなか調整が効かない。

最初は大きく、徐々に細かく、という流れが一般的だが個々人のクセが大きく左右してしまう。

だから一般的なハモりではヴィブラートを敢えてしなかったり、合わせやすいように大きくする。

2人のヴィブラートが合わなかったらその瞬間、不協となり聞き苦しくなるからだ。

それを井上陽水のテンポに合わせているのが玉置浩二。

後追いしているのが分かる。コンマ何秒かの遅れがまた味となっている。

唄いながらそれを調整することがどれほど難しく、意識しないとできないか。

私のヴィヴラートなんぞ、どんな曲でも1種類のテンポしかできない。

速くすれば全く歌唱法が異なるトレモロにしか聞こえないし、それを途中で変速させることなんてできない。

でも玉置浩二はできるんだな。それもあまり意識せずに「相手に合わせよう」と唄うだけで。

テクニックとしてやるのではなく、単に「唄う」という行動の中で自然とできてしまう。

独唱の曲ではそりゃもう自由奔放だ。

でも「上手く唄おう」ではなく、まるで誰かと話す感覚で唄ってる。だから感情移入がしやすい、そんなこと意識せずに唄えるのだろう。

「ムード歌謡」「懐メロ」的なジャンルに入れられる場面も多いが、私は彼は今もロックの延長だと思っている。

グラムからハードあたり、でもあまりに歌がうますぎる、そして伝えたいこと、使う言葉が優しいから作る曲がアコースティックが似合う曲となっている、みたいな感じ。

本人は別にジャンルなんて関係ないと思うけど。

単に唄いたい曲を作って唄うだけ。

ミスチルの桜井さんとの対談で「敢えてヴィヴラートをかけないことにハマる」と言っていた。

そこもまた技術だ。自分の歌唱技術で優れている部分を消すことで曲の印象が全く変わる。それすらも躊躇なくできる。

まあ私は「田園」あたりの曲はちょっと長渕剛的であまり好みではないのだが。

あと10歳若ければもっと若者にも容易に伝えることができるのだろう。でも良いものは必ず後世に残る。

情熱あたりを聴いてほしいな。「Tender youth」の意味をいろいろ想像してもらったり。

「唄うまいキレたオッサン」

それでもいい。

そもそもアーティストに善き性格や行動を要求する必要はないのだから。

良い作品だけを送り出してもらえればそれでいい。

だから「TVになんて出なけりゃいいのにな」と思う。

統合失調症だの精神的に壊れてるだの、夫婦そろっておかしいとか関係ないし。

一度タレント的にTVに出だすとそんな観点からも見られてしまうのだろうな。

周りが「玉置浩二はTVに出すべきじゃない」と止めてあげられないのかな。

こんな作品を世に送り出してきた偉人が社会の常識の枠にはめられる姿、それに踊らされている姿が見ていて痛々しくなる。

もっと高いところにいればいいのに。

そうやっても全然違和感ないくらいのアーティストだと思う。

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