一家心中の危機に、米長邦雄の母は…(ああ家族④)

しかし母は、一度に全員が死ぬという手段が分からなかった。

―――米長邦雄

『オカン、おふくろ、お母さん』(文藝春秋、2006年)より
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 戦前の米長家は資産家だった。それが戦後の農地解放政策で土地を失い、一転して貧に落ち切る。
 父は肺病、家にあった家具や衣服や食器などもほとんど売り尽くし、もう一家六人が心中するしかないというところまで追いつめられる。
 その苦境を持ちこたえられたのは、母の生命力のお蔭だった。

 「しかし母は、一度に全員が死ぬという手段が分からなかった。青酸カリなどを手に入れる事もままならない。生命力逞しく、母は土の上に生きている人間であって、これが頭の中で生きている人間であったなら、私自身の命は六歳までであったろう」

 米長邦雄。
 昭和十八年生まれ。大東亜戦争の真っ盛り。邦雄という名にも、「大東亜共栄圏(国家連邦)の英雄」といった意味が込められていたらしい。

 もっとも、敗戦(昭和二十年)前後の記憶は米長には残っていない。
 記憶としてあるのは、小学校の夏休み、三人の兄たちと共に一日中余所の畑の草取りアルバイトをして糊口を凌いでいたこと。夕食の支度は子供たちが交代でつとめたこと。そして、一年に一度だけ、祭りの日に、おかずとして一人に一匹の塩焼きサンマが出て、たいそう嬉しかったことなど……。

 成長期の米長邦雄は実に壮絶な苦労をしているのである。

 『オカン、おふくろ、お母さん』に収められたエッセイは「投了後の一家」と題されており、初出は「文藝春秋」一九九八年七月号。米長、五十五歳のときの文章だが、その末尾にはこう記されている。

 「当方が年を取る毎に母親が偉く見えてくる」

 米長邦雄の人生を語るとき、この母の存在を欠かすことはできない。その後の米長に決定的な影響を与えたとも考えられる。

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