118枚目:Bobby Timmons "Sweet and Soulful Sounds"【1962】

今回は、33枚目:Bobby Timmons “This Here is Bobby Timmons”【1960】に続き、2度目のボビー・ティモンズ作品の紹介になります。

以前より幾度か、Oscar Petersonの”We Get Request”【1964】Wynton Kellyの”Kelly Blue”【1959】Red Garland の”Groovy”【1957】の3作を、ピアノ・ジャズ3大名盤としてお勧めしてきました。これからジャズを聴いていこうとお考えの音楽ファンの方々にも、ストレートにジャズの魅力を知って頂けるはず、と考えてのことでした。といいますのも、私自身がこの3大名盤をジャズを聴き始めた初期の段階で知り、ジャズにハマるきっかけになったからです。

ジャズは通常のポップスと異なり曲ではなく演奏(アドリヴ)が核心ですので、バンド・ミュージックやR&B系に親しんでいるリスナー層にとって延々とアドリヴをブチかまされるタイプのコアなジャズはとっつきにくさを感じて当然ですが、上掲3大名盤は極上のアドリヴを含みつつも、ピアノがメインの作品ですので耳触りがよく、すんなんりと受け入れられるはず。

何枚かジャズ作品を聴いてみたけれど、いまひとつピンと来ないという方がいらっしゃいましたら、是非とも上で挙げた3大名盤を当たってみて頂きたいと思います。

では、ピアノ・ジャズの3大名盤にあと1作プラスするとしたら、どれを勧めることになるでしょうか。個人的には、Bobby Timmonsの”This Here is Bobby Timmons”こそがふさわしいと考えております。理由は、やはり聴きやすさ。ティモンズは、明快さが売りのソウル・ジャズ系ピアニストだけあって、あまりジャズに慣れ親しんでいないリスナー層にも受け入れ可能な解りやすさがあるからです。ティモンズの名盤というよりも、ピアノ・ジャズの名盤として自信をもって推すことができます。

今回は2作目のティモンズ作品を紹介しますが、”This Here is Bobby Timmons”が未聴の場合は、まずそちらから聴くことを強くお勧めしたいところです。

今回は、:wikipedia:Bobby Timmonsを参照しつつティモンズのバイオグラフィを追ってみます。

ボビー・ティモンズは、1935年ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれ。世代的には、後期モダン・ジャズ世代に当たります。両親、伯父叔母がピアニストという環境で育ち、伯父のひとりRobart HabershawはMcCoy Tynerのピアノ教師だったそうです。

祖父が牧師を務める教会でピアノを弾くようになり、この時の経験が後のソウル・ジャズ・スタイル確立に大きく影響しました。当時の音楽仲間にはJimmy、Percy、TootieのHeath三兄弟がいたそうです。 高校卒業後、奨学金を得てフィラデルフィア音楽アカデミーへと進学します。

1954年、モダン・ジャズのメッカ、ニューヨークへ。1956年にKenny Dorhamのグループで初のレコーディングを経験。その後、Chet Baker、Sonny Stitt、Curtis Fuller、Hank Mobley、Lee Morganらのレコーディングにサドマンとして参加することとなります。

そして1958年、ティモンズはビッグ・チャンスを手にします。Art Blakey & The Jazz Messengersのピアニストに抜擢されることに。

JMへの加入は、Benny Golsonの推薦だったそうです。ゴルソン曰く「ボビーは革新的なヤツで、ビ・バップも演れれば、ファンキーも演った。要は、何でもござれだったんだ。まさにブレイキーが切望していた人材だったんだ。ボビーには伸びしろがあった。ある曲を演る場合でも、ヤツはひとつだけでなく、いくつものアプローチを常に用意していたんだ」

ティモンズ在籍時のThe Jazz Messengersは、歴史的名盤”Moanin'”【1958】を発表。タイトル曲”Moanin'”はティモンズが作曲しました。


Art Blakey and the Jazz Messengers “Moanin'”【1958】
アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ 「モーニン」【1958年録音】

自身の初リーダー作”This Here is Bobby Timmons”では、ピアノ・トリオ構成で”Moanin'”を再演しております。


Bobby Timmons “This Here is Bobby Timmons”【1960】
ボビー・ティモンズ 「ディス・ヒア・イズ・ボビー・ティモンズ」【1960年録音】

“Moanin'”の大成功によって一躍脚光を浴びることになったティモンズでしたが、JMのメンバーとして活躍していた時期には、バンド・メンバーと共にヘロイン中毒になっていたそうです。

1959年にJMを離れると、Cnnonball Adderleyのグループに加入。再び歴史的名演の誕生にティモンズは大きく貢献します。Cannonball Adderleyが1959年に録音したライヴ盤”Cannonball Adderley in San Francisco”【1959】です。ソウル・ジャズの人気盤として、そしてライヴ録音盤が人気化する端緒となった作品として広く知られることとなりました。

“This Here(Dis Here)”。こちらもティモンズ作曲。

“Cannonball Adderley Quintet in San Fracisco”がリリースされると、思わぬ大ヒットを記録。特に”This Here”が大受けしたそうです。彼らは全米をツアーで回っており、アルバムが大ヒットしたことを知らぬまま、ニューヨークへ戻り、ライヴ会場のVillagegateに行くと、聴衆が外にまで溢れかえっているのを見てビックリしたそうです。


Cannonball Adderley “Cannonball Adderley Quintet In San Francisco”【1959】
キャノンボール・アダレイ 「キャノンボール・アダレイ・クインテット・イン・サ・・フランシスコ」【1959年録音】

この曲も”This Here is Bobby Timmons”で再演されております。

ところが、アルバムが大ヒットしたにも関わらず、ティモンズは十分な報酬が支払われなかったと不満を抱き、キャノンボール・グループから脱退。より高額の給料を保証したジャズ・メッセンジャーズへ復帰することに。JMの”Night In Tunisia”【1960】、”Freedom Rider”/”The Witch Doctor”【1961】がこの時期の録音作。初リーダー作”This Here is Bobby Timmons”を録音したものこの時期でした。

JMとの活動と並行して、Johnny Griffin、A rnett Cobb、Nat Adderleyの録音にサイドマンとして参加。Nat Adderleyの人気盤”Work Song”【1960】に参加した際は泥酔状態だったため、数曲はティモンズ抜きで録音せざる得なかったとか。

1961年、ティモンズはJMを再離脱し、自身のトリオを率いての活動を本格化。Bass:Ron Carter、Drums:Tootie Heathでライヴ・ツアーを敢行。当時ティモンズが考えていた理想のピアノ・トリオ像は、Red GarlandとAhmad Jamlだったそうです。

グループのドラマーでティモンズの幼馴染でもあるTootie Heathは当時を回想し「当時がティモンズのピークだった。だけど、彼は完全にヘロイン中毒になってしまっていたんだ。バンド活動で得たギャランティもほとんどが麻薬の代金に消えて行ってしまったよ・・・」と述べています。

今回紹介する”Sweet and Soulful Sounds”【1962】はティモンズが絶頂期にあった時期の録音盤。4枚目のリーダー作に当たります。


Bobby Timmons “Sweet and Soulful Sounds”【1962】
ボビー・ティモンズ 「スウィート・アンド・ソウルフル・サウンズ」【1962年】

パーソネルは以下の通り【参照:wiki Sweet and Soulful Sounds】。

Piano:Bobby Timmons

Bass:Sam Jones
Drums:Roy McCurdy

ティモンズのオリジナル2曲とスタンダード6曲の計8曲構成。個人的には、オリジナル曲”Turn Left”と”Live Another One”が素晴らしいと感じているのですが、残念ながらyoutubeに音源がありませんでした。

4曲目収録”You’d Be So Nice to Come Home to”。
 
冒頭から2:50辺りまで、ティモンズの独壇場。リズム陣はいかにして彼に気分よく弾かせるかに専念するかの如き。ティモンズのピアノは軽快そのもの。私のような素人ファンには、時折2人が弾いてるかのようにすら聴こえます。

2:50からサム・ジョーンズがソロを取りますが、彼のアドリヴ・ソロというよりもまるでティモンズの休憩時間を作っているかのよう。ほぼティモンズの独り舞台と言ってしまってよいのではないでしょうか。

1曲目収録”The Sweetest Sounds”。

こちらも構造的には先ほどの曲とほぼ同じ。3:00までティモンズの遣りたい放題。リズムは裏方に徹します。3:00からサム・ジョーンズのソロになりますが、あくまでも”つなぎ”的。

“This Here is Bobby Timmons”同様、明るく楽しいピアノ・ジャズの見本のようなアルバムです。オスカーやガーランドと比較すると若干知名度は落ちるかもしれませんが、ジャズ・ピアノを突き詰めていけばどこかの段階で取り組むべき名手であることは間違いありません。

ただ、1960年代中盤以降、ティモンズは失速していきます。ヴィブラフォンに挑んだり、オルガンにチャレンジしたりもしましたが上手くいかず。アレンジャーを入れ、ホーン・セクションを揃えた多人数構成にも取り組みますがこちらもいまひとつ。演奏活動は続けていたそうですが、1968年を最後にレコーディング契約を失ってしまいます。

ティモンズの凋落は、音楽家としての資質の問題というよりも、ドラッグとアルコールが理由だったそうです。Clark Terry率いるビッグ・バンドのピアニストとして1974年にヨーロッパ・ツアーに同行。ところが、機中で既に泥酔状態に。スウェーデンでのライヴ初日の直前にホテルのバーで前後不覚になっていたそうです。結局、アメリカへ緊急帰国。数か月後、肝硬変のためこの世を去ります。わずか38歳の生涯を閉じました。

最後に、1961年Art Blakey and the Jazz Messengersの一員として来日した際の映像を。

ティモンズ作の”Dat Dere”。

Tp:Lee Morgan/Tenor:Wayne Shorter/Bass:Jimmy Merritt。あまりにもクールなショターのソロ。5:00過ぎからティモンズのソロがスタート。

ショーターは今年の東京Jazzに来るそうです。彼は1933年生まれ。ティモンズより2歳年長です。ドラッグで身を持ち崩していなければ、ティモンズ老として来日してもおかしくなかったということになります。まったくもって彼の早逝は残念ですし、もったいないことこの上なしです。

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Bobby Timmons – Bobby Timmons

Art Blakey & The Jazz Messengers – Art Blakey & The Jazz Messengers
Cannonball Adderley – Cannonball Adderley

 

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