卒車、卒免だけでは。

通信速度制限を食らうといろいろ不自由。

あと2日の我慢だ。

横浜での事故。

衝突し、横転した軽自動車の下敷きになり登校中の小学生が亡くなった。

まだ結果は出ていないが、軽自動車の運転手に認知症の疑いがあるという。

今後このようなケースはどんどん増えていくのだろう。

かの私の親もつい先日、自動車を降りた。

認知機能が怪しくなってきた前々から車を処分するよう言っていたのだが、環境の厳しい北海道での生活の足である以上は強制的に取り上げるには難しい部分があった。

幸いウチの親は当面のカネには困っていない様子だから、車をやめてタクシーを使えと言えるのだが、そうではない高齢者には車をやめろイコール「黙って家の中に閉じこもっていろ」と言うに等しい。

公共交通機関の発達した地域の感覚での「乗らせてはいけない」と、地方でのそれとは大きく違うことも報じるべきだろうな。

世間は簡単に「乗らせてはいけない」と論じるのだが、じゃあそのあとをどうすればいいのか。

歳を取るにしたがって、できなくなることがどんどん増えていく。

その絶望感、恐怖心たるや。

それでも周囲に迷惑をかける可能性と比較し、自ら進んで車を降りる決断をする高齢者は人間がデキている。

しかし当然ながらみんながみんなそうではない。

先日も、ワケがわからず自爆して他人に重傷を負わせ、顕示欲を満たした72歳もいた。

そう、高齢者はみな人間がデキている、はずはないのだ。

だからやっぱり一律的に卒車、卒免させる制度が必要かもしれない。

抵抗はあるかもしれないが、それによって別次元での公共交通機関の発展を促す効果もあるだろう。

何より、「周りの高齢者みな、やっている」ようにすることで大きな流れにすることができる。

「何だ?オマエ○○歳なのにまだ自分で運転してるのか?ダセェ・・・」

という流れを作れば抵抗感を減らすことができる。

前述のような地方部であれば白タクを合法化してもいいかもしれないな。

知らない人が知らない人を乗せる。

道端で高齢者が何らかの目印となる札を掲げ、それを見たドライバーが拾う。

距離や回数をカウントし、それによって自動車税から控除したりガソリン代を割引したり。

地方部では意外と意味もなく暇つぶしで車に乗っている人もいるのだ。

いずれにしても、できなくなる部分を補助する何かを準備しないまま、ツールを奪うやり方は絶対に限界が来る。その結果は間違いなく「何の因果もない人に迷惑を与える」こととなる。

その被害者、加害者への同情や責任論だけでこの問題をやり過ごそうとしても何も生まれない。

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