追悼・伊藤能(「師匠、ちょっと早すぎましたが、お目にかかりたくてこちらに来てしまいました」)(編集再掲載)

「(弟子・伊藤能の四段昇段は)まあ将棋に限って言えば、自分(米長邦雄)が名人になった次くらいに嬉しいことだったんじゃないかな」

―――先崎 学

米長邦雄の通夜の席での会話、(「将棋世界」2013年3月号)
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 伊藤能は米長邦雄の弟子。
 三段からなかなか上がれず、強制退会年齢も近付き、師の米長も、もうこれが潮時、第二の人生へ気持よく送り出してやろうと送別会の手配までしたそうだ。
 ところがここに「奇跡」が起こる。(その顛末については、右作品一覧から「ああ人生」の「〈奇跡の人〉誕生秘話」を御覧下さい)

 その伊藤が、師の没後、出版者から依頼を受けてまとめたのが、『棋士米長邦雄名言集 人生に勝つために』(マイナビ、2014年)である。

 ここで伊藤は「米長哲学」の素晴らしさを熱く語っている。
 「名人戦より必死にやるべき対局とは何か」という小見出しまで掲げているのだから、ある意味驚く。

 米長哲学については、私自身は眉唾物だと感じている。
 実際、内藤國雄や勝浦修などは否定的な見解を示しているし、また、渡辺明などは非論理的だと一蹴するほどである。

 けれども伊藤は、米長が書いた「首切りエピソード」も事実として記述し、何の疑いもない。
 また、大野源一との対局に勝ち、ライバル・中原誠のA級入りを結果的に手助けしたことについても、「(米長は)そんなことは全く意に介していない」としている。

 内藤國雄や勝浦修の証言とは異なるのだが、それはもうしょうがないと言うべきだろう。

 同じく米長の弟子・先崎学によると、伊藤能が四段に昇段したとき、師の米長はたいそう喜んだそうだ。

 「まあ将棋に限って言えば、自分が名人になった次くらいに嬉しいことだったんじゃないかな」

 そんなことだから、伊藤にとって米長邦雄は、「ある意味父親のような、いや、親以上の存在」なのである。
 師の生き方に感銘し、本の序文で次のように書くのも当然なのかも知れない。

 「やはり運は偶然に訪れるものではなく、自らの手でつかみ取るものなのだろう」

 米長哲学の実践により将棋の女神を引き寄せて運をつかみ取るという理論を心の底から賞賛しているのである。
 もうここでは内藤國雄も勝浦修も渡辺明も関係ない。
 師匠の考えを心底信奉した弟子の美しい姿があるばかりなのだ。

 米長邦雄の死は二〇一二年十二月十八日だった。当時、伊藤能、五十歳。追悼文「大きな喪失感」(「将棋世界」2013年3月号)は心に沁みるものだった。
 そして、それから四年後の二〇一六年十二月二十五日、奇しくも師匠と同じ年末に、彼は世を去ることとなったである。享年五十四。

 伊藤は自らがまとめた『棋士米長邦雄名言集 人生に勝つために』を携え、師匠の元に旅立ったのだ。

 「師匠、ちょっと早すぎましたが、お目にかかりたくてこちらに来てしまいました」

 可愛い弟子の訃報を聞いてあの世の入口まで出迎えに来た米長邦雄に、彼はそんな挨拶をしているのかもしれない。

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