クソ政治。

クソな政治を見せられる国民への影響。

そっか、悪いことしても正当性のロジックを組み立てさえすれば免れるんだ。

その合理性を疑う人の方が「思考が浅い」「確たる証拠もないのに」とあたかも悪いことをしてるかのごとく叩かれる。

よし、そのテクニックを磨けば何でもできるんだな。

そんな過程を見る我ら。子供たち。

正直に生きて馬鹿を見るより、「上手く」生きた方が賢い。

よし、ディベート上手になろう。何でも論破できるスキルを磨こう。

それを体現する大人。政治。

論破さえできればそれは屁理屈ではなくなる。黒も白となる。

事実と結論は違う。

証拠が不十分だから白。不十分にすることができたから白。

後者のために繰り広げられるディベート大会。

合理性から考えれば誰が見ても明らかな黒であっても、それだけでは結論にはなり得ない。

内心は自由だ。不利益となる証言を強制されない。

それは大切な権利。

しかし国会は裁判所ではない。国民は論理の整合性ではなく印象で結論を出す。

他者からその結論への過程を批判されようが、否定されようが変わることはない。

それだけのこと。

「言葉が心を動かす」

政治家はお忘れか。

互いに揚げ足を取るやり取りを周囲はどう感じるか。

印象操作だ、と盛んに抵抗していた御人が必死に自己弁護の印象操作に勤しむ。

論破する自信のない当事者は、身を隠すというその事実を認めるのと同義の行動を取ることによって、己を苦しめる罪悪感から逃れる。

小泉政権は、郵政民営化への賛否によって政治の世界を分断した。

現政権は原発、改憲、安保法制、基地問題への賛否で「国民」を分断した。

そこで生まれたのが、敵対勢力との忍耐を重ねた調和ではなく、敵対勢力への短絡的、感情的対抗だ。

そのためのツールが論破テク。

本当の正しい、正しくないは関係ない。とりあえず相手を論破さえできればそれが「正」とすることができる。

もはやゲームだ。それまでの政治にあった美徳も感じない。

そんな茶番で国の行き先が決まる。

各人が持つべき正義心も、論理的な正当化処理を施した醜い我欲の上に立つ。

現政権、現野党の応答を見て不思議なことがある。

明らかにクソな質問答弁や醜い所作でも、国会議員や国民にそれを支持する人が少なからずいることだ。

やはり「所属欲」「群集心理」ってのは恐ろしい。

それを満たし、正当化の論理を援護する新たな正当化の論理を畳み掛け、一緒に敵対勢力を攻撃することによって自己のアイデンティティを維持しているように見える。

そんな人が誰しも持つ弱い部分を計算の上で利用しているなら相当悪どい。

だから私はこの国の将来が不安だ。

成熟へのひとつの過程であればいいんだが。

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